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引きこもりのブログ

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中学校の国語教師

 俺の中学には2人国語教師が居た。一人は中年の小デブで、気に障る言動を繰り返す嫌な奴だった。嫁が居るってのが信じられないくらいに嫌いだった。あいつのことはあんまり考えたくないので、もう一人の方に移る。そっちは朱色のフレーム眼鏡をかけた、40代の、いかにも国語教師ですねって感じの女性教師だった。好きか嫌いかと聞かれれば、まあどっちかっていうと好きだったかなあ。国語教師が醸し出してそうな、思慮深そうな感じというか、平たく言えばちょっと知的なオーラ。俺は一回分の人生しか生きてないので、国語教師と呼べる人は3人くらいしか知らなくて、これを「国語教師」レベルに抽象化していいのか分からないのだけど。まあそんな雰囲気が好きだった。

 つってもそんな思い入れのある人でもなかったので、覚えていることなんてほとんどないんだけど。言われた言葉のなかに二つほど覚えているものがある。

 一つ目は「勉強をしなさい」。いやまあ学生なら何百回も聞く言葉でしょうけど?でも、目を見つめながら、ゆっくり話すもんだから、何かしらの含みがあるんだろうなあと思わずにいられなかった。確か学力テストの返却のときだったかなあ。俺は勉強はよくできてたのだ。偏差値でいうとだいたい70くらい。そりゃもう誇りに思いましたよ。なのに、「勉強をしろ」なんて言うんだから、俺のことを買ってくれてるのかな、なんて思った。別に勉強してないつもりはなかったけど、見えないところでは手を抜くタイプだったので、そこを見透かされていたのかもしれない。今思えば。

 もう一つは「大変な人生になるだろうね」みたいなことだった。呪詛かな。中学校も終わりかけた、3年の3学期に言われたものだったから、その言葉はかなり抉るものがあった。なのでどんな言葉だったか正確に思い出せないんだけど、まあそんな感じのことを言われた。あのころはほんと皆に嫌われてて、思い出すだけで地獄っぽさがあるんだけど、まあその時代を生きていた俺は、外から見たら疲れていて、どんな将来が待っているか容易に想像できるような顔をしていただろう。でもそこにこの言葉を掛けるのはどうなんだ。まるで止めを刺すようなものじゃないのか。弱った植物に除草剤をかけるようなもんじゃないのか。国語教師なんだからわかるだろ。それとも何か別の意図があったのか。もう少し生きていけば、本当の意味を知ることができるのか。

 まあ果たして俺はニートになったし、先生も間違ったことを言っていたわけではないから、責められる筋合いなんてないのかもしれない。でもあれはきついよ。せめて聞くことがなかったなら、少しだけだけどマシなニートライフを送れていた気がする。今でも思い出して胸がヂクヂクと痛むのは、控えめに言ってクソ体験で、それをもたらした先生の罪は重い...。国語教師が良いこと言ってたみたいな話はネットでよく見るけど、俺の場合は全然そんなことなかったな、という話。