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引きこもりのブログ

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ひきこもり新聞を読んだ

生活

2016年の11月に始まり、それから二月ごとに発刊されているひきこもり新聞。存在を知ってはいたけれど、なんとなくおっくうで、購入までに至らなかった。だが、今日の朝、両親が「こんなのが新聞に載っていたよ」とひきこもり新聞を紹介する記事の切り抜きを持ってきたので、web上で手続きをすませて、PDF版をダウンロードした。

新聞はこちらで購入できます「ショップひきこもり新聞」 | ひきこもり新聞

一部500円。当事者と当事者家族は100円で購入できる。

 

「ひきこもり新聞」は、過去にひきこもっていた経験を持つ人達が集まって立ち上げた企画で、ひきこもっていた人や現在もひきこもっている人の書いた記事や、精神科医斎藤環氏、作家の田中慎弥氏へのインタビューなどが載っている。創刊号では「マスメディアが伝える、ひきこもりに対する無能・無気力で、努力をしない人間というイメージを覆したかった」という代表の思いが語られている。

 

 とくに印象深かったのが、「不可能性を生きるワタシ」という、当事者の投稿した記事だ。

動けなさへの配慮、不可能性を生きるワタシ | ひきこもり新聞

ひきこもりとは「動けない不在の存在」です。

したがって、「場にいないひとへの想像力」が大切だと思います。

ひきこもり当事者が「語れる一部」の人に限定されないことを望みます。

被害者だと思っていた自分が、加害者でもあったかもしれないという気づきを得た。

そもそも自分は、ひきこもってるとはいえ、衣食住に困らず、ある程度のお金も自由に使えて、家族にも理解があるという、極めて恵まれた環境で過ごすことができている。「語れる一部」に属する一人だ。そんな人間が、一般的な「ひきこもり」でないのは明らかで、さらに弱者として振る舞おうものなら、他の大勢の人を傷つけてしまう。

私もそうですが、ほとんどのひきこもりの方は居場所や繋がりを持てず、その中で必死に苦悩し、自分なりの生活を試行錯誤しているでしょう。

そこで私はひきこもりについては、「動けなさ」を主体に捉えていくべきだと思います。

何よりも理解してほしいのは、人の動けなさを尊重するということです。

自分が人を傷つけていたと考えるのは、なかなか気持ちのいいことではないけれど…。でも、そういうやり場のない怒りや悲しみには、自分も覚えがあるし、それを与える側にはなりたくないと思っている。自分のできる範囲で、「動けなさ」を理解していこうと思う。