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引きこもりのブログ

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愛着

自分

 好きを追いかけている人はかっこいい。何かに夢中になっている人は、輝いている。このような言葉は、一般に広く受け入れられていると思う。自分の周囲を振り返ってみても、ネットサーフィンをしていても、その類の言葉をよく耳にする。

 でもその反対に、そういう人たちが嫌いだという主張にはいまだに出会ったことがない。なぜだろうか。答えは簡単だ。単純にそのような考えを持つ人々が少ないのだ。多くの人がひったくりは悪いことだと思うように、食い逃げするのは悪いことだと思うように、道徳心や良心と同じくらいのレベルで、先ほどの考えは浸透してるのではないかと思う。

 最近話題になっているアニメに「けものフレンズ」がある。はてな界隈でも言及される場面は多く、知っている人もわりといるだろうが、「けものフレンズ」はメディアミックスの作品で、同名のソシャゲアプリが2015年の3月から16年の12月まで配信されていた。実は自分は2015年の5月くらいからやっていて、結構のめりこんでいた。ゲーム性はまんま他のパクリだったけど、キャラの説明テキストやデザインは完成度が高く、声優もけっこう豪華で、けもの界隈では人気のあるアプリだった。

 俺は別に地獄のミサワみたいに「俺それ知ってたわー流行る前から知ってたわー」と言いたいわけではない。アニメの人気に火がついて、ふたばやtwitterやついにははてなまでもがジャパリパークと化した。対して俺はアニメの存在も知らなかったし、まだ一話も視聴していない。

 「何か」が強烈に好きな人を見る度に、自分の中に両価的な感情が湧きあがってくる。一つはそういう人への憧れだったり、感動だったり、いわゆる気持ちいい感情。もう一つは、嫉妬だったり、それが深化・転化した憎しみだったりの、暗い感情だ。自分は、どちらかといえば暗い感情が大きな割合を占める人間だ。

 自分という、愛着をもつものが少ない人間が、つまり他の人よりより深い愛着をもてる筈の人間が、アニメ「けものフレンズ」を知らなかった。自分のような人間の愛着を、世間の人たちは軽々と追い越していった。好きに貴賤はないと人は言うが、自分は気にせずにはいられない人間なのだ。はてなでけもフレの話題を見かける度、傷ついた。劣等感が押し迫ってきた。

 思えば、そういう傷つきを避けるために、マイナーなコンテンツに興味を向けていたのかもしれない。不快な感情は抑圧されてしまうというが、まさにそうで、自分はいままでこんなこと意識したことがなかった。この理屈で、自分の行動は説明できる気がする。

 話が飛んだ。最初の段落で提起した人たちに対して、自分は、あまり気持ちのいい感情を抱けない。でも、そう主張するのは、自分の歪みを含んだ心理構造をみつめることになるため、心に負担がくる。なので、そういう主張が声高にされることが無いんじゃないかと思う。

 まとまりがなくなってしまったが、少なくともそう考えている人間が、ここに一人いるということを言いたかった。いかに自己中心的な考えがもとになっていようと、この苦しみは本物の苦しみであって、他人が責め立てる権利なんかないと思っている。この国にも、俺みたいな人間がもう10人くらいは居るはずだ。あんたたちは一人じゃない。一緒に頑張ろう。