引きこもりのブログ

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一つのゲームに数百時間を費やしていた

 昔は一つのゲームに平気で数百時間とか費やしてたなあ、ということを思い出した。

 俺の人生史における、インターネット発掘以前の、サンタさんからもらったDSソフトを遊んでいた頃は、一つのゲームにものすごい時間をかけてた。一番最初に買ったのがカービィ鏡の大迷宮。一度ボスを倒してエンディングを観たら、次はすべてのスイッチ(押すと新しいサウンドトラックが聞けるようになったりする)を押して、それでも飽きずに、残機を最大まで増やしてボス戦に挑んだり、裏技がないかいろいろと実験してみたりしていた。200時間くらいはやったと思った。

 ストーリーを最後まで終わらせて、やりこみ要素もコンプして、そのゲームのすべてを味わい尽くしたと感じたときに、得も言われぬ充足感を感じた。おそらく、その一部にはゲームに対する征服感があった。ゲームソフトは滅多に買ってもらえないので、そういうやり方が一番楽しかったのだと思うし、実際自分は満足していた。

 そういう楽しみ方をするのはゲームだけではなかった。漫画とか、雑誌とか、図鑑とか、楽しめるコンテンツはすべて隅々まで目を通した。面白いと感じたら何回でも読み返した。初めて見たときと比べれば面白さは少ないのだが、それが面白かったという事実を再確認することに、喜びを感じることができた。

 でも、そういう楽しみ方は、ネットによって破綻してしまった。ネットには無限に等しい面白いコンテンツがあって、すべて楽しむなんてできやしなかった。俺の知っている幾つかのサイトを追いかけるだけで精一杯で、話題のゲームをやるだけで精一杯で、ランキング上位の本を読むだけで精一杯だった。限られた時間のなかで楽しみを最大化するには、それが最良の選択肢だと思った。

 今になって思ったけど、それは多分間違ってたんだな。「楽しみ」を生み出すのはコンテンツの質だけじゃない。コンテンツを選ぶとき、コンテンツを消費するとき、コンテンツを征服するとき、コンテンツに愛着をもつとき、それぞれに楽しみがある。俺は消費するときが一番楽しいように感じて、それだけを追い求めてきたけど、それはその他の楽しみを顧みない、ともすればその楽しみ自体を吹き飛ばしてしまうような、愚かな行為だったと思った。

 だとしても、これから俺はどうすればいいんだろうな。以前のように何度も図鑑を読み返すことはないだろうし、そういう楽しみ方はもうできないだろう。せいぜいできるとしたら、コンテンツの数を減らして、より深く楽しんでみようとする位かもしれないな。他人はどうだか知らないけど、自分にはきっとそれがいい。